『斜陽』に描かれた建築空間の考察

2000年10月 比較生活文化学会 発表論文
西島 恒佳 (西島建築設計工務)

第1章 エピローグ

太宰治の作品『斜陽』は、雑誌『新潮』昭和二十二年七月号から十月号にかけて連載され、第一章、第二章が伊豆で書かれた。

太宰は愛人であった太田静子に宛てた手紙のなかで、

「伊豆長岡温泉へ行き、二、三週間滞在して、あなたの日記からヒントを得た長編を書くつもりです。最も美(かな)しい記念の小説を書くつもりです。」と記している。愛人太田静子の日記をもとに、主人公の「かず子」が語り手となり、敗戦後、急速に低迷した華族のはかない様子を、「日本で最後の貴婦人」と称される母、薬物中毒であり、思想家であり、そして果て無く自害をとげる弟直治、小説家であり、弟直治の兄貴分である上原といった登場人物を配して、伊豆の山荘、そして東京を舞台に描かれている。


相関図

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愛人である太田静子の日記がもとになっている以上、主人公「かず子」をとりまく登場人物たちは、他ならぬ太宰の分身であるといってまちがいない。直治は薬物中毒、思想家であり、思いの丈を遺書に書き記し自害をとげる。上原は小説家であり、酒浸りで家庭をかえりみない。後にかず子は、上原の子を産む。この遺児は、太田治子のことである。太宰は、直治に自身の本心を吐露させ、そして穏やかな死を演出した。その一年後の昭和二十三年六月十三日の夜、太宰自身も梅雨降り続く玉川上水に入水自殺をとげる。
私はこの名作が、伊豆で書かれたこと、特に生まれ育った町である「伊豆長岡」という言葉が出てくることに非常に親近感をおぼえ、その背景を探りたいと考えた

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06/Sep/2002 連載発表開始